駅前タイムスリップ-あるパチ屋の思い出

今回は、ちょっと昔のお話をさせて頂こうかと思います。

 

時には昔の話を

私が20代後半の頃、2年ほど住んでいたエリアには、入場口付近で小鳥を飼っているお店がありました。

 

もちろん、パチンコスロット店です。

 

このお店は、大きな駅の直近エリアだというのを忘れさせるような異空間であり、悪く言えば古臭くてボロい、良く言えばレトロで雰囲気があるお店でした。

 

店内はとにかく狭くて、通路の左右のお客さんが椅子の背もたれに体重をかけると、ほとんど通行不能なくらいぎゅうぎゅう詰めでした。

 

客層は、日中は作業着の人や爺さん婆さんがほとんどで、夜時間帯になると会社員が一気に増えるような感じで、20代の若者はまず居ない、というか店構えや常連客層自体がその来店を拒否しているようにも見えました。

 

もちろん、若い女性などは全く居ませんでした。

小鳥-思い出

 

昔ながらのスタイル

もはや記憶は曖昧ですが、私はこのお店では、CRルパンザサード(平和 2002年)を好んで打っていて、軍資金不足の時は羽根物コーナーに避難するという立ち回りをしていました。

 

ここでは、そのどれもが、3,000~4,000個定量であり、羽根物などは自力継続中であっても定量個数に到達すれば問答無用で終了させられましたので、最初に出入りするようになった時には「もうこの界隈では無制限営業が当たり前になりつつあるのに、よくこんな機種構成や古臭い営業ルールでやっていられるな」と妙に感心したものです。

 

50台くらいだったでしょうか、スロットコーナーも全て定量制でしたので、ルールを知らないで遊技したらしき人がスタッフと揉めている現場に結構出くわしました。

 

その度に「これがウチのルールですんで、ご納得頂けないんでしたらご退店願います」的な対応でしたので、同業の私としては、「徹底しているな…たしかに、遊べる台は多いし、慣れれば落ち着く雰囲気だ。でも、時代の流れには合わないから、より魅力的な遊技空間を備えて、派手な遊技機が登場して、無制限の大量獲得時代に完全に移行すればやっていけなくなるだろう」といった思いを抱いていました。

 

そして、その予感みたいなものは無情にも当たり、会社の先輩から「昭和20年前後に創業した老舗中の老舗」と聞かされたそのお店は、今ではもう廃業しています。

 

当時はまだ在職中であった私の釘の師匠(職業釘師)も、「俺くらいの年代で関東に居る奴だと、ここと、有楽町の かもめホールなんかは、みんな知ってるよ」、「たしかに昔ながらのホールで、個人的には好きだし応援したい店だけど、いざ釘を叩け、店長やれ、と言われると、及び腰になるな」といった事を話していました。

 

また、長い業界経験からでしょうが、「時代は、良く悪くも等価無制限だ」、「今後は小遣い稼ぎなんかじゃ納得できない客ばかりになるし、こういう店の役割も終わるんじゃないかな」とも話していました。

 

街の景色は変わる

先日、ちょっとした用事があり、この駅前エリアをぶらぶらしました。

 

十数年経った今では、この商圏は地元ホール企業のお店がドミナント戦略として複数展開している中に、業界最大手をはじめとする設置台数が多い店舗が沢山軒を連ねており激戦区の様相を呈しています。

 

その内の一つの店内をちょっと覗いてみますと、会社あがりでしょうか、若い女性が1人でCR海沖縄4桜199ver.のボタンを一生懸命ペシペシしていたり、CA風の制服に身を包んだ仲 里依紗似のスタッフが階段の手すり部分を念入りに掃除しています。

 

パッと見、かなりスタイリッシュな店内で、客層もスタッフも若者が多くその中でも女性の姿が目に付きますが、さて、爺さん婆さんはどこかと探せば、1円パチンココーナーに20人くらい居るようです。

 

まあ、来店頻度が多い客層ですから、甘デジだとしても毎回4円で弾くのはキツい訳で、必然的に1円パチンココーナーに行き着くのが良くある流れと言えます。

 

その向こう、ひときわ綺麗な一角は、景品カウンターです。

 

そこに、ちょっと違和感があるものを発見します。

 

懐かしの…

景品カウンターの手前に専用の什器で陳列されているのは、昔懐かしの駄菓子です。

 

ソースカツ、よっちゃんいか、チョコバット、きびだんご、都こんぶなどなど・・・

 

全部で20種類くらいあるでしょうか。

 

私は、このオシャレなお店に似つかわしくない駄菓子コーナーを見て、先ほどお話しした小鳥が居る定量制のお店の事を思い出したのです。

 

そのお店の景品カウンターにも、オロナミンCの看板が目印の、駄菓子コーナーがありました。

 

私は当時、たしか あんずボーと黒糖麩菓子を好んで景品交換していました。

 

それから、十数年経ちましたが、このオシャレなお店の中で何だか一気にタイムスリップしたような、そんな不思議なと言うかちょっと寂しいと言うか、何とも表現し辛い気持ちになりました。

 

 

今回は、これくらいにしておこうかと思います。

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[記事公開]

2017年8月20日

コメント
  1. 庶民の娯楽というのなら「有楽町 かもめ」や「中野 雀球プラザ」などの名物店舗が営業できなくなり廃業に追い込まれたのはなんだか矛盾していますよね。
    昔はパチ&スロともに定量制、ラッキーナンバー制などのお店が大半をしめていましたよね。
    パチンコのドル箱の小箱、打ち止め三角札、玉やメダルの重さで計量する出玉計数機、穴のあいた長いテープ式の景品レシート、パチンコやスロット上のパトランプ、店員さんの口上や呼び込み、指をつかって大番号を伝達したり…パンチパーマの店員、店内で堂々と喫煙、正月三が日はプラス振る舞い酒を飲酒しながらの接客などなど、すべてが懐かしい。

    • 西田です。 さん
      1970年代生まれまでが、そういった営業スタイルに慣れ親しんだ最後の世代ですからね。
      書いていて、本当に懐かしい気持ちになりました。。。

  2. 「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。今日の出玉と、あの娘、あのコの気持ちは、あなた、あなたのウデ任せ。さぁ、本日もジャンジャン、バリバリお取りくださいませ、お出しくださいませ・・・。」

    こんな店長の口上が大好きでした。もう、25年以上前の話です。新装開店では、何時間も並んで、命釘がガバガバでネカセもバッチリの一発台、スターライトやスーパーコンビで大勝ちしたものです。普段は、羽根モノの魔界組やマッハシュート、ビックシューターを好んで打ってました。

    本当に、良い時代でしたね。

    あの頃の業界に戻れるものなら、戻ってもらいたいものです。

    • 十全 さん
      業界が当時の感覚に戻れるのか否か、その可能性の有無について、誰でも十分に分かっていると思います。
      ファンや営業現場の者がそれを望んでも、金銭感覚が違う一部の業界人だけが何かを推進したり決定する力を持っている訳ですから、現状では不可能な訳で。。。
      私個人には何の力もありませんが、せめてこのブログを業界の現状を判断するための材料にしてもらったり、たまには今回のような雑談でもって昔の事を思い出してもらえたらと思います。

    • ぶん太 さん
      具体的に書いて懐かし談議に花を咲かせたい所ですが、身元バレ防止のためできないのが心苦しいところですm(_)m

  3. パチンコすきなんですねぇ…
    それだけに哀れでなりません。

    楽太郎さんならクロロさんみたく次のステージがあると思うのですが…

    業界から距離を置いてみては?
    どっぷり浸かり切っているなら難しいでしょうか?

    • じょう さん
      「次のステージ」という表現、先日公開した記事で使わせて頂きましたm(_)m
      私自身はどこまでいってもパチ屋の店長ですから、それ以上の事を発信したり啓発したり、別の何かを追求する意志まではありませんね。

  4. はじめまして。最近スロットを嗜むようになった夜勤メインの社会人です。スロットを始めたばかりの頃は設定度外視で一つ一つの演出自体が楽しくて夢中になりましたが、より楽しい演出の多い高設定を打ちたいと欲が出てきました。旧イベント日は普段よりも高設定を打てるチャンスがありますが、入れ方に別段癖が見受けられる訳ではなく、なかなか座れません。設定を入れる側としては、これまでの履歴(◯日前までのデータを考慮、または前回の旧イベント日の入れ方を考慮等)は意識して入れることが多いのでしょうか?勿論、全国的にみることは不可能ではありますが、いち店長の旧イベント日の設定振り分けについて意見を伺いたいです。宜しくお願いします。

    • むー さん
      裁量が大きい設定担当者なら、前回の同イベントでどのような配分をしたかなどは、かなり気にしますね。
      どの機種/コーナーに集中的に入れたとか、末尾がどうだったとか、角から何番目とか。
      日々見ているのは直近7日間データで、その期間で出率調整をしながら配分している担当者も多いです。
      なので、最近ずっと甘めに動いている機種/コーナーがあれば直近のイベントではそこは落とすとか、イベント日の良稼動を利用して想定よりハネている数字を落ち着かせようとする場合もあります。

  5. 昔のパチンコは、店によってルールも機種構成も全く違って面白かったですね。行きつけの地域ならいいですけど、全く知らないところだと、どうしたらいいのか分からずドキドキして。スマホどころか、インターネットも携帯電話も無い時代ですから、今よりも圧倒的に情報が少なく、新装開店で大放出しても、基本的には地元の人にしか還元されないので問題なかったのでしょう。それでもどこからともなく、開店プロたちがやってくるのですがね・・。

    通路が狭いお店と言えば思い出すのは、池袋の富士ですね。両側に人が座っていると人が通れない上に、遊技台と椅子の間隔も狭く、台下の箱置きに800個入りの小箱しか置けなくて、セブン機で大当たりしたら、下からスライドして大箱をお腹のところに置くという遊技スタイルでした(通路が広いお店でしたら、椅子を後ろにずらし、大箱が置けるように箱置きのところにバーを2本ほど追加していたと記憶しています)。しかしこのお店、いまだに現役で営業しているとは・・

    • 獣 さん
      私も情報が少なかったり地域性やお店ごとの個性があった時代の打ち手ですから、当時を懐かしく思い出す事が最近凄く多いですね。
      去年池袋に行った際には東口店舗しか見ていないので、西口方面の最近の状況は不案内です。
      他には、山楽、かめ、パール、でしたかね。小さいお店も沢山あったエリアですよね。
      雨の日にネオン管がバチバチいっていたパールのいかにもパチ屋な電飾看板が個人的に好きでした。

  6. 昔の店は独自の色がありましたもんね。懐かしいなぁ。業界に入った時はアレンジボールの店舗とかまだあったんだけどなぁ。東京は金賞品システム入った時が契機で廃業していったのかな。
    いまじゃ店の営業にかかるコストが昔と段違いですものね。

  7. てんま さん
    半年に2回ほど新台を20万円前後で買って、常連客を遊ばせながらの営業・・・この業界は、もう当時には戻れませんね。
    1990年代後半あたりからですかね、毎月新台入替というのが普通になったのは。
    2000年代に入れば、毎週新台入替という狂乱時代に突入する訳ですが。。。

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