Once Upon a Time in Ameyoko-ある夏の記憶【後編】

時間は一旦現在に戻って、2016年9月のある日曜日、楽太郎は上野~御徒町界隈をお散歩中です。

 

どこもかしこも・・・

一時期、花伝説30を打つためだけに通っていた沖スロが強かったお店も別の屋号になり、今ではそこも閉店。

 

高架橋下にあって、「コイツ、よく箱積んでるな、持ちメダルないのに食事休憩取るし。店側から設定漏れてるんじゃないか」と色々と疑いの目で見ていたお店も閉店。

 

大きく勝った時は豪華な食事を、という事で、行きつけだったうなぎ屋さんも閉店。

 

この界隈の景色はだいぶ変わりました。

 

また、当時は、「5万突っ込んで7万戻って来た」だの、「PIAの魚群は腐ってる、HIT率が低すぎる」だの、「パサ1(オリエンタルパサージュ1)の本気イベントに並ぶために、会社休んでやった」だの、パチンコスロット絡みの会話が至る所から聞こえてきていたのが、今ではあまり耳に入って来ないような気もします。

 

いかに上野と言えど、業界が元気が無くなって来たのに連れて、街行く人々の関心事も他に移ってしまったかのようです。

 

当時行きつけの食堂で

上野に来た時には、遊技中に食事休憩をとる事もあった小さな食堂は幸いにも健在で、今回もこちらで定食を頂きました。

 

時間的にはお昼時をちょっと過ぎている事もあり、それほど混んでいません。

 

電車が通ると、音と振動が伝わってくるような店内。

 

その場の雰囲気というか、お味噌汁から立ち上ってくる香りというか、色んな要素が絡み合って、20代の頃に思いを巡らせる楽太郎・・・

 

ちょうど、最近このブログの読者になってくれたという「新米店長」さんから、「店長とは名ばかりで、部長やら、他の年配社員やらが幅を利かせていて待遇も給与も悪い今の会社に、何の希望も持てない」といった主旨のお問い合わせを頂いていた事もあり、これにどうお返事したものか?

 

色んな事を考えながら、食堂での時間はゆっくりと過ぎていきます。

 

そう言えば、あの時もここに居た

時間は、若手マネジャーだった頃に戻ります。

 

時間帯責任者としての業務や、憧れだった釘調整、そして設定管理に関してもお手伝いというか真似事くらいはやらせてもらえるようになり、パチ屋の仕事というものは、全身全霊でやればやる程、権限や裁量が認められてどんどん自由になっていくんだなと実感していました。

 

どんなに早出/残業しても、辛いなんて思った事は一度もなく、ひょっとしたらそんな事を考える暇もないくらい忙しかったとも言えるかと思います。

 

まあ、そうは言っても、休日というものはあります。

 

その日は、勤務はなしで、日中は思う存分遊んで、閉店してから店に行って入れ替え作業と新台の釘調整を2~3時間くらい手伝って帰宅、仮眠をとって朝8時から早番勤務というパターンだったかと思います。

(今はもう体力的に無理ですが、当時はこんなスケジュールでも楽勝だったので、若いとは素晴らしいものです)

 

たしか、アンダーカバーの黒いTシャツ(BLANKEY JET CITYとコラボした、骸骨が骸骨馬に跨っているデザインだったはず)か、白地のTシャツで胸元にBambiと赤ラメでプリントしてある、当時気に入っていたシャツのどちらかを着ていたかと記憶しているので、やはり季節は夏真っ盛りだったかと思います。

 

そして、その日はアメ横近くの、階段上に水槽があった某店で朝一からスロットを打っていて、食事休憩をとっていた、と。

 

そして、食堂を出て店に戻ろうかという時に、電話が鳴ります。

 

店からですが、電車が通るので、話の内容が良く聞き取れません。

 

静かなところに移動して、話を聞きます。

 

そして、この電話が、私のパチ屋のキャリアにおいて、ひとつのターニングポイントだったんじゃないかと、今になってみればそう思います。

 

先生が来れない!

規模が大きめの新台入れ替えの夜などは、本社から釘調整専門の部隊が出張って来て黙々と調整し、次の系列店に風のように移動していくというホール企業もあるかと思います。

 

また、近隣の系列店から応援が来て、社員皆で協力して調整する、という会社もあるでしょう。

 

当時私が勤務していたお店では、いくら規模が大きいと言っても一晩に40台も叩けば終了という入れ替えがほとんどでしたので、特に応援が来るとか、そういう事はありませんでした。

 

また、当時は、中編でも書いた通り店長が昇格したばかりで、その店長に釘調整を指導しつつ営業数字の管理の仕方についても色々と教えるために先生がほぼ張り付きでお店の釘を叩いてくれていたので、台数が多くても百戦錬磨の先生が居てくれて、店長と私も居ればどんな規模でも一晩で片付くだろうと思っていました。

 

しかし、その日は状況が違いました。

 

その年の夏、一番の目玉機種の新台入れ替え、結構な台数を叩かなくてはいけない日に、先生がインフルエンザにかかってしまい、夜お店に出てこれなくなったとの事でした。

 

お前は、どう思う?

電話先で店長が言います。

「50台以上あるからな、俺とお前で、いけるか?」

 

楽太郎

「・・・う~ん」

 

店長

「やってやれない事はないけど、さすがにキツイよな。今回は、他店から応援頼むか?今なら連絡して、1人くらいはマネジャークラスから来てもらえると思う」

 

いつもはあらゆる事に「ハイ!」と即答してきた私ですが、この時ばかりは答えに窮しました。

 

自分自身の事なら、とりあえずやってみて、それで成功しても失敗しても自己完結しますが、この夏一番の目玉機種で、しかも台数も多い、何より先生も来れないし時間には限りがある・・・

 

店長

「迷った時は、無難にやった方が良い事の方が多かったりするぞ。でも、一応聞いておくよ、お前は、どうしたい?

 

楽太郎

「・・・・・・自分らの店なんで、自分らでやりたいです」

 

店長

「そうか、じゃあ、朝までコースだな。お前、早番勤務だけど、いいのか?」

 

楽太郎

「ハイ!」

 

店長

「先生に連絡して、調整ポイント聞いておくよ」

「1台15分ちょっとで、1人あたり30台近く叩くんだぞ。7時までには終わらせないとな!」

 

当時はまだ両面ゲージ(左右対称に近い釘並び。本数も多い)が主流なので、それ相応の時間と労力が掛かります。

 

食事休憩を終え、打っていたお店に戻ります。

 

そして、適当に切り上げて、帰宅の途に。

深夜から早朝にかけてが、本当の大勝負です。

 

一心不乱に叩く、そして朝

まだ営業中の21時過ぎくらいから入れ替え対象の島を閉鎖して、紅白幕を張ります。

 

社員と、ベテランの遅番アルバイトスタッフ総出でパチンコの新台を設置、上階のスロットコーナーの新台は、業者さんが設置してくれます。

 

23時くらいまでには全ての設置作業が完了し、データがしっかりホールコンピューターに上がってくるかどうかのチェック等も完了し、後は当日の売上金を回収して締め業務、そして肝心の釘調整です。

 

普段なら、釘調整が終わってから30分~1時間くらい弾いてみて、玉掛かりが発生しないかどうか、適正な調整数値になっているかどうかチェックするのですが、その日はさすがにじっくり弾くほどの時間的な余裕はありません。

 

閉店し、締め業務を他のマネジャーに頼み、店長と私とで黙々と新台の釘調整が始まります。

 

店長の見立てた通り、さすがにサクサクとは進まず、時間の経過と共に調整の精度が落ちてくるのが自分でも分かります。

 

たしか、道連釘が乱杭歯のようにガタガタで納品されてきて、かなり頭に来ながら真っ直ぐに戻していたかと思います。

 

それでも、休んでいる暇は無いのでガンガン叩き、調整が終わった台は他のマネジャーがアースをとって弾いて、ホールコンピューターでその数値をチェックしていきます。

 

目の前では、ハンマーと釘がぶつかるチンチン、カンカンという音が無限ループし、周囲からは試し打ちの遊技音が鳴り響いて、頭が変になるというか、幻惑されたような感じになります。

 

気付いたら、早番社員が出社していて、全ての釘調整および新台の数値チェックは終わっていました。

 

最終的な数値の微調整は店長が行い、私はお店から15分くらい行ったところにあるサウナ屋さんで汗を流し、戻ってきて景品カウンターのところの赤絨毯に寝っ転がってほんの少しの仮眠をとります。

 

時間は、いつの間にやら9時近く。

 

昨日の夕方くらいからずっとお店に居た店長は、早番の私に後事を託してフラフラになりながら退勤します。

 

店長

「さあ、ちゃんとした営業数値になるかな?」

「まともな営業ができたらさ、先生からうまいもん食わせてもらおうぜ!」

 

こんな事を言いながら退勤したでしょうか、後は私に任されました。

 

無事に新装開店

開店前に、所轄の担当の方が見えて新台のチェックを行い、立会い人欄に署名します。

 

ちなみに、当時の自店エリアの所轄担当者は、実際には遊技機を1台も目視確認しませんでした。

 

単に、島端からざっと見渡して、「この機種が・・・あそこね。で、この機種が、あっちか、ヨシ!OK!」

こんな感じです。

 

私が記憶している限りでは、1度たりとも島内に入った事がありません。

 

さて、そんなこんなで、どうにか無事に新装開店に漕ぎ着ける事ができ、細かい事は記憶にありませんが特に何かまずかったとか、怒られたとか、そういった事は何も無かったので万事OKだったものと思っています。

 

数日後に現場復帰した先生からも、

「これくらいの営業数字ならまともだな」的に合格点が貰えたので、店長も私も、入れ替え作業にあたった社員たちも皆、非常にほっとしました。

 

そして何より、私自身に関しては、役職に対する責任感というか、釘調整に関してのある程度の自信というか、他の社員からの「マネジャーらしい取り組み姿勢」みたいな評価を得ることができたという点で、重要な出来事だったかと思っています。

 

そういった観点で、やはりこの日が、一つのターニングポイントだったと言えるでしょう。

 

実際、それから先は、比較的順調にキャリアアップする事ができました。

 

間もなく、上位のマネジャー(副店長的なポジション)になり、店長になり、ひょんな事から複数店舗を見ることになり、気付いたら2016年です。

 

光陰矢の如しとはよく言ったものですが、レーザービーム並みのスピードで時間が経過したような感覚があり、今に至ります。

 

この辺の経緯に関しては、過去に「スロット日報」のマッキーさんから記事にして頂いた事があるので、もしも興味があるという方は、そちらも併せてご覧頂ければと思います。

【参考】

『【極秘対談】某パチンコチェーン営業部長への18の質問』

 

今になってみれば

なぜ自分がその後はトントン拍子にポジションを得ることができたかに関して言えば、これもやはり運が味方についてくれたと言えるでしょう。

 

別に私自身が他者との比較上何か優れているものがあった訳ではなく、今回ご紹介した出来事にも通じますが、その時々で手抜きをしないで、馬鹿正直に業務を遂行してきただけです。

 

ただ、いつ何時でも全力疾走していた訳ではなく、自分なりに適当に休みもしましたし、それなりのペース配分はあったかと思います。

 

でも、周囲の人たちからは「楽太郎はアホだ」みたいな扱いを受ける事が多かったので、やはり傍目から見れば無駄に熱くて真面目で面倒くさい人材だったのかも知れません。

 

そして、偶然にも、当時の社内事情というか状況が、このような人材を欲していた、と。

 

誰かをどこかのポジションに推挙しようと周囲を見渡しても、特別ふさわしい人材が居なかった、だから私にチャンスが回ってきた、そしてそれにたまたま応える事ができた・・・このような場面の連続だったように思います。

 

今回、このような記事を書いたきっかけは2つあります。

 

1つは、「新米店長」さんからお問い合わせを頂いており、これにどうお返事したものか数日間思案していた事。

 

もう1つは、上野エリアの散策中に、そういえば若手管理職の時、大変だった新台入れ替えのあの日、こうしてここでお店から掛かって来た電話をとったんだなあ、としみじみと思い出した事です。

 

後者の方に関しては、前編、中編、後編に分けて書いて参りましたので、肝心の前者の方を書いて話を締めようかと思います。

 

・・・しかし、そうするにはちょっと分量が多くなり過ぎてしまったようです。

 

あくまでも、私なりにですが、「新米店長」さんへの仕事論的なものというか、アドバイスみたいなものを簡潔にまとめて【おまけ】として記事にしようかと思います。

 

長引いて申し訳ありませんが、宜しければそちらもお付き合い頂ければ幸いです。

 

 

~【おまけ】 に続きます

 

 

「ここまで付き合ったんだから、おまけも読んでやるか!」という方は、そっと押して頂けると嬉しいです。
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コメント
  1. チャンスが回ってきたのは運ですが、そのチャンスをものにするかはその人のそれまでの積み重ねなんですね。
    人生をふと振り返った時、心に浮かぶターニングポイントが後悔ばかりの自分には己が情けなく感じつつ、また頑張らなければとも思える話でした。(‘◇’)ゞ

    蛇足ですが、個人的に花伝説は訳も分からず新装で5000枚出たので好きだった機種です・・と思ったのですが、よく考えたらそれはパイジマでした(笑)。( ゚Д゚)

    • テツ さん

      漫画、花の慶次で、若手武将たちが露天風呂に入っていて、この面子がもっと早く生まれていて皆で何年か頑張れば天下が獲れた的な話をしていたところに、豊臣秀吉がやって来て「お前らが俺より遅く生まれたのは天が決めた事」、「信長様が亡くなって、周りを見渡したら俺より優れた奴がたまたま居なかったから天下人になれた」的な事を話したかと思いますが、まあ、たかがパチ屋の役職ですが私自身もこんな感じですm(_)m

  2. 真面目と努力家は才能です。
    私にはそれが無く、社会人になってから苦労しています。
    楽太郎さんが羨ましいですし、尊敬しております。

    • 飛鳥 さん

      4か所の誤字脱字に気づき、先ほど修正完了・・・

      昔のことを思い出して、ちょっと感傷的になってしまい手元が狂ったようです。

      お見苦しい文面だったかと思いますが、読了して頂きありがとうございました。
      また、お褒め頂くほどの者でもありませんが、高評価して頂き恐縮ですm(_)m

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