七五三参詣で賑わう境内で思う-文化の日に、文化的に過ごす楽太郎

11月3日は文化の日。「今週の見通し」でも触れましたが、大部分のお店は全力で回収するつもりで営業していたかと思います。

 

気分転換に

今日は特にやるべき業務がなかったという事もあり、日中は自宅でのんびり過ごしたり、現在取り掛かっている諸規制絡みの資料に目を通して、明日以降の記事公開に備えたりしていた楽太郎。

 

資料を読み込んでちょっと疲れたので、アサヒスーパードライ350ml缶を1本飲んで、気分転換に近所のお散歩に出掛けてみました。

 

すると・・・

 

神社に、家族連れがいっぱい

20分ほど歩いたところにちょっとした神社があるのですが、その境内がなにやら賑わっています。

 

様子を見に境内へ。

 

せっかくなので、ついでに親族の健康祈願、ロト7/ロト6/ミニロトが当たりますようにとの世俗的な祈願、そして会社の商売繁盛をお祈りします。

 

ご利益祈願の時には、どこの誰にご利益を期待しているのか?

 

神様に対して具体的に住所氏名も念じた方が良い、という事を以前嫁さんから聞いたのを思い出し、後ろに参詣者が並んでいるのにも関わらず3分くらい掛けてお祈りする楽太郎。

 

満足がいく祈願ができて、改めて境内を見回すと、7~8組くらいの家族連れが何やらワイワイやっています。

 

これは・・・七五三参りだな!

七五三

前途洋洋な少年少女たち、そしてパチ屋のおっさん楽太郎・・・

 

さながら、ファッションショー

私はここらへんの事情には疎いのですが、たぶん結構な貸衣装代が掛かるような立派な着物に身を包んだ少年少女たちが、両親や祖父母からチヤホヤされて写真を撮ったりおみくじを引いたりして、楽しそうにしています。

 

ある女子は、イチョウの木のところにあるおみくじを結びつける場所で胸元から小銭入れ的な物を落としてしまい、拾おうとしますが慣れない着物なのでしゃがむのに苦労している様子。

 

普段は世俗の極みともいえるパチ屋で過ごしている楽太郎としては、こういう光景は、いいもんだなと、ほっこりした気分になります。

 

悲しい業界人

しかし、そこは19年選手の業界人である楽太郎。

 

七五三参りの神社のような場面であっても、どうもパチ屋事情に結びつけて物事をみてしまう悪い癖が顔を出すので困ります。

 

「あの子の着物、ゴージャスだな、綺麗な赤だ・・・お!その次の子も赤か、更に!次の子も・・・3連赤7で1確目降臨だな」

 

「おみくじの大吉確率はどれくらいなんだろう?見た感じ箱には200本くらい入っているけど、社務所の人は、今日は大吉を5本入れておこうとか、そんな感じで確率操作する事とかあるんだろうか?」

 

「鳥居のところに、七五三参詣と貼り出してあるな、相当な達筆だ・・・ん?7、5、3?確変じゃないか!ラッキーナンバー制なら継続遊技GETだぜ

 

・・・自分で悲しくなってきます。

 

帰宅して、営業報告のメールに目を通す

そんなこんなで、いい感じの気分転換になったので帰宅。

 

管理している各店舗の時間帯責任者からの簡易営業報告に目を通します。

幸い、今日もトラブル事はありません。

 

ただし、まともな売上もありません。

 

一昔前の祝日といえば、エリア差はあるでしょうが日中は普段スーツに身を包んだ会社員のお父さん方がリラックスして遊びに来て、場合によっては平時よりも売上が進んでまともな営業ができていました。

 

しかし、私の感覚では2014年くらいからだと思いますが、そういったお父さん方の姿は大幅に減少し、現在でもその傾向は継続しています。

 

「パチンコは、日本特有の大衆文化である」と、今では堂々とは言いにくい状況ではありますが、今日この文化の日に、最近のホール事情に思いを致す楽太郎でした。。。

 

 

今回は、これくらいにしておこうかと思います。

明日からはまた、シリーズ物の諸規制絡みの記事の公開を予定しています。

 

※まだ1記事も読んでいない、という方は、こちらからご覧頂ければと思います。

【参考】

2016年10月31日公開

『パチ屋に関係する諸規制の出発点と現在地-その①』

 

2016年11月1日公開

『パチ屋に関係する諸規制の出発点と現在地-その②「高さ規制」』

 

2016年11月2日公開

『パチ屋に関係する諸規制の出発点と現在地-その③来店ポイントについて』

 

「今日は、文化的に過ごしたぜ」という方は、そっと押して下さい。
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コメント
  1.  文化といえばパチンコも日本の文化ですね

    子供の頃、手打ち式で一発ずつ玉を弾いて
    いた父親の横で遊んでいた頃を思いだします。
     景品のお菓子やチョコレートを紙袋一杯にして大喜びで家に帰った日曜日でした。

     あの頃は子供の出入りは禁止されていませんでしたので、父親の代わりに打ってみたり パチンコ店の子と遊んだりしていました。

     当時、田舎には朝鮮学校が無かったせいか小学校にも在日の子がいましたが、普通に遊んでいました。パチンコ店横の友人の家で餅を焼いてもらった事を覚えています。

     パチンコ文化は昔とは随分変わってしまいましたが、この文化は今後消えてしまうのかなあ・・・・

     

    • ナナベエ さん

      身の丈というか、お客さんの顔が分かる範囲で営業出来ていたうちはまだ市中の娯楽として市民権もあった業種なんでしょうが、今ではあらゆる面で不必要扱いされる業種に成り下がってしまった感がありますよね。

      貴重なお話、ありがとうございますm(_)m

  2. 昭和後期の頃を経験している私は、子供一人にかける養育費が少なかったので、経済的享受度は高くないのですが、それなりの心の幸福度はありました。

    一方、平成生まれの我が家の息子にかける養育費は独占しているので享受度は高いのですが、彼自身が幸せかどうか?は感受性の問題なので何とも言えないものです。

    まあ、時代は違っても親族や保護者からの愛情は変わらないと思いますが…。

    変わったと言えば、生活の質だったり余暇の過ごし方でしょうね。
    娯楽産業の多様化の片方で上がらぬ可処分所得。
    お父さんの小遣いは定期昇給無し…。

    でも、こういう時こそ遊技業界の活性化のチャンスはあると信じたいものです。
    例え希望的観測であったとしてもです。

    • 北の養分 さん

      人ひとりにかける手間暇費用に関しては、業界的には後進の指導についても似たような事が言えますね。

      ひと昔前よりは、新卒で300人採用するホール企業でも無い限り、自然にやってくる新人の数は大幅に減りました。
      以前であれば、どんどんやってくる中から、この業界で身を立てて行こうと思う者が勝手に名乗りを上げてくるので、その都度教えてやって、合わなければ辞めて行きまた別の者がやって来て・・・というサイクルが成り立っていました。

      しかし、いまは単純に人数不足なので、その中でどうやって後進、特に役職者を育成していくか?
      ここらへんに苦労しているホール企業、お店は多いものと推察します。

      私に関しては、まさにそうで、そろそろ1店舗くらいは誰かに任せないといけないのですが、どうにもこうにもうまく行きません。。。

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