ゆるゆると書いてきて、これで4記事目、今回はダイナマイトキッズをとりあげてみます。
詳しい方だと、このタイトルにはダイナマイトキッズR、ダイナマイトキッズ30、ニューダイナマイトキッズとあるのをご存知かと思いますが、私楽太郎が20代中盤の頃、打ち倒していたのは沖スロ仕様の30のやつでした。
Contents
池袋へGO!
時は裏モノ時代の後期である2001~2002年頃、記憶では、この機種を4~5台規模で設置していたのは神田、横浜、そして池袋の某店でしたが、私の主戦場は池袋でした。
この機種か、ブルーラグーン、或いはコンチネンタルⅢを打つためだけに池袋駅で降りて、東口の雑踏の中に足を踏み入れていた私。
お目当ての店に到着し、迷わず地下フロアへと降りて行きます、するとそこは・・・
特に、ダイナマイトキッズの一角は、いつも鉄火場的な危険な雰囲気が充満していました。

正に爆弾小僧
こんな機種だった
あばたもえくぼ、普通に見ればマイナスポイントであっても好きな機種なら好意的に解釈し、懐かしく記憶に残してしまうので、人間の脳というものは不思議なものです。
・メーカーはマツヤ商会
⇒ピンクホエール、ユニコーン、センカン、ピンクブー、朱霊キッズといった、20~30代の若い読者の皆さんからは「え?何一つ知らないんだけど・・・」という反応しか得られないようなマイナーメーカー、それがマツヤ商会です。
しかし、そのマイナーさこそが、スロットジャンキー達の心を熱くさせ、裏モノ好きな打ち手にとっては、これこそメジャー中のメジャーなメーカーといって良い存在感がありました。
・武骨な筐体
⇒悪く言えば粗悪、ちょっと好意的に見ればシンプル、目を引くところと言えば、まあせいぜい7セグが付いているくらいです。
前述の機種は表面的なデザインが異なるだけで、だいたいは似たランプ配置やリール配置であり、手が込んだ開発品とはとても言えないような代物ばかりです。
しかし、私楽太郎的な注目ポイントがひとつ、それは、下皿が鉄板であるということです。
30パイの沖スロメダルが鉄板にバチバチと重い音を立ててぶつかりメダルが貯まっていく時の快感たるや、このマツヤ商会の筐体以外では味わったことがありません。
ただ、1,000G以上のハマりを喰らっている最中、季節は冬、その鉄板はどの機種よりも打ち手を冷たくあしらい続けます・・・
※厳密には純粋な鉄板ではないのかも知れませんが、これはもう思い出補正というやつで、ご勘弁下さい。
・歓喜のBONUS告知、そして抽選
⇒盤面右上にある告知ランプ、たしか「HIT」と書いてあることろがピカピカ光ればBONUS成立です。
筐体上部の大半を占める赤い帯状のランプも、右へ左へウェーブのように光って祝福し、7セグが作動し777ならBIG、333なら残念REGです。
・どんなタイプだった?
⇒一言で裏モノといっても、日本全国いろんなタイプのものがあったようですが、私が打っていたダイナマイトキッズは、当時つるんでいた友人の情報によれば連チャン回数振り分けタイプの模様とのことでした。
記憶では連チャン時はクレジット以内でほぼ当たり、閉店時まで打っていて全台のデータランプを見て見ると50回以上のBIG回数の台も良く見かけて、15,000枚計数した札が刺さっていたりと、その払い出し性能は折り紙付きでした。
沖スロメダルなので、コーナー全台がしっかり持ちメダルを作ったときの頭上の棚は、かなりのボリューム感がありました。
こんな感じのダイナマイトキッズですが、難点が一つ。
そのDEAD or ALIVEな仕様に魅了された客層は、とんでもないくらい柄が悪くて、裏社会風の方も良く見かけるような危険度MAXな雰囲気でした。
リール盤面や下パネルを殴打するのは当たり前。
ハマり~単発にムカついた人は台上に刺さっている「奇数」「偶数」「据え置き?」などの札をひっこ抜いて手裏剣のように投げたり、自分がハマっていて隣近所で連チャンしようものなら悪態をついてきたり、無法者が沢山いる中でひっそりと打っている私は、さながら野獣の群れの中の子羊でした。
パチ屋は怖い所、最近はそんな言葉もあまり聞かなくなりましたが、つい15~16年ほど前は、まだその言葉が当て嵌まっていた頃でした。
そういった意味では、パチンコスロットというものはギャンブルからアミューズメントに変わっていったんだな、と懐かしく振りかえらずにはいられません。
今回も、特に内容が無い記事に最後までお付き合い頂きありがとうございました。
次回は、エイペックスの海人をとりあげてみる予定です。
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袋東の地下なら今は亡きB.Bステーションですね、本当に怪しい裏物店舗でしたし、怪しい人が沢山いたなぁ~(笑)
アラチャンマン さん
世を忍んで書いておりますので具体的に店舗名までは挙げませんが、まあそこの近所のお店でコンチⅢ打ったり、サンシャイン通り方面にフラフラと歩いていき某闘男店で裏沖スロ打ったり、地下にスープラが置いてあるお店で一日ダラダラ過ごしたり、若い力を存分に無駄にしておりました。
不健全ではありますが、非常に楽しかったですよね!
懐かしい!確かにBBステーションでしたね。当時、BBの新規開店の時、夕方の5時から23時迄でバリバリ2万枚つうのもありました。2階や、3階のリズムマスター、や、ガルフなどもバリバリ裏物!でも1階は正規物でしたよね。BBの前はアソコはアダルトビデオショップDio、その前もパチスロ専門店、何故しってるか??秘密です。
アダルトショップの時は、私、アダルトビデオメーカーやってましたので(爆)当時、しってる人は多分、人物特定されちゃうかなー。(笑笑)
でも、確かに熱い時代でしたね。
BBは、高田馬場の栄通りにもありましたし、渋谷センター街にもありました。そこもかなり激アツな場所なのは覚えております
万枚スロッター さん
若い頃はお世話になりましたね、アダルトビ、いや、BBステーション。
昨年の秋だったか、用事があって凄く久しぶりに池袋に行きましたが、街の雰囲気的なものも含めて、かなり変わったなという印象でした。
昔は、街行く若者の会話は、何万突っ込んでいくら返って来たとか、あそこのあの機種は週末が熱いとか、パチンコスロット関連の話題ばかりだったのが、今ではもうそういう感じではないですからね。
淋しい気もしますが、世の中的には健全な方に行っているんでしょうね。